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観劇、LIVE覚書

カムイレラ  2014.09.14

カムイレラ

光が丘IMAホール
2014.09.11〜15

ミュージカル座
脚本・演出・作詞・作曲 藤倉梓
編曲 眞鍋昭大


ミュージカル座の舞台はアイランドに続き二回目。
すごく真面目に作ってくる劇団なのね〜という印象が二回目の今回でさらに濃くなりました。
いや、どこの劇団もカンパニーもふざけてはないでしょうが、なんて言うんだろう・・・ド直球???
今回の「テーマ」はこれだーっ!って、正面からドカーンと突きつけられる感じ。
カムイレラはその内容もあって、めっちゃ訴えかけられている〜と最初タジタジしてしまった。
でも、見終わった後味が悪いわけではなく、むしろ爽やか?
この秋立て続けに見た三本が重いけどそんな公演が多くて不思議なんだけど、これって季節のせい?
うーん。謎です。でも爽やかさの半分は正体分かっているので、その辺いつもどおりの私的感想文にてつらつら書いていきます。

アイヌ」と聞いても北海道の先住民というくらいの知識しかない私。
あとは某ゲームの農村少女ですがこれ北海道じゃないわ←
劇中のセリフでもありましたが、確かに沖縄や在日問題に比べるとマイナーですよね。
先住民と移民の問題は少なからずあっただろうと想像はできるけど、こんなに苛烈な争いがあったことは思いもしませんでした。
脚本作詞作曲演出(!!)の藤倉さんは北海道へ赴き、取材を重ねたとの事。
差別問題は題材とされる方々の気持ちも様々あって難しいところを、しっかり物語りになっていたのが凄い。

さて本編。
幕が上がるとそこは現代。
アイヌ民族の権利が確立されたのが2008年のようなので、ここはそれより以前の路上集会となります。
スクリーンに映し出される新聞記事とその前に立ってアイヌの人権を訴える人々。
その最後に歌われたカムイレラと歌い手の朱里、彼らに同行して写真を取っていた行生との会話から、アイヌと和人の争いの過去へと時間が巻き戻されていきます。
正直。この始まり方にはうわっと苦手意識が立って身構えてしまいました。
中・高と同和、差別問題や公害訴訟、戦後処理云々の教育に重きを置く学校に通っていたので、こういった問題を前に出されると構えてしまうんですよね・・・色々考える事はあるのですが、それをここで語っても仕方ないのでひとまず棚に上げます。
で、その身構えてしまった私ですが、時が巻き戻り、寛政の蝦夷の港町に道生が現れたところで少し肩の力が抜けました。
というのも、この小野田さん演じる道生。気弱で腰が低く、終始おどおどしているくせに、商人たちに乱暴されたアイヌ人を見捨てておけない優しさと度胸を併せ持つ、いいトコ取の三枚目なのです。
そう、三枚目なのです(笑)主役なのに!
でも、頼りなかった道生の、ぼんやりとした「アイヌ人と和人が共存できる世界」への思いが、話が進むにつれ鮮明に、そして確固たる信念になるまでがまざまざと描かれていて、小野田さんはすごくいい役を頂いたなと感激しました。
港町で右も左もわからず、アイヌの人たちが人を食らうなんてホラ話を信じてびくついていた道生は、まったく子供の顔でした。
世間知らずというか、「兄上たち」と言っていたから末っ子なのでしょう、そんな甘えが見える顔でした。(それも勿論可愛いんだけどね!←)
助けたアイヌ人の女たちの手当を拒まれ、颯爽と現れたキヤを見上げたきょとっとした顔がめっちゃ愛らしくてですね。まだ世間ずれしていない道生がそこに居ました。
そんな道生。甘ったれの軟弱男かと思いきや、商人たちに暴力を振るわれたアイヌの女たちを助けようとしたり、アイヌと和人の諍いの兆しを内偵するという使命を遂行すべくアイヌの村を訪れたりと意外と責任感と行動力があったのです。
まあ、アイヌの村に辿り着いて祭りの様子を見ようと山に登って足を滑らせ危うく凍死しかけるっていう間抜けさもありますが、そこはキヤ達に保護され、アイヌの村の内部に入ることが出来たので問題ないでしょう。結果オーライ。
キヤも、和人には散々苦しめられているので初対面はかなり手厳しかったですが、保護した後、言葉を交わすうちに警戒を緩めていく姿が道生の心根の良さを語っているようでした。
この時、キヤ達に和人とアイヌ人がどうやって共存していくかを考えたいと訴えていた道生は、まだふんわりした思いだけでそれを語っていたように思います。
現実を知らず、「こうあればいいのに」という理想論を翳す若者ほど厄介なものはありませんが、この後、道生は思い描くものとあまりにもかけ離れた現実を突きつけられて急速に成長していくのです。
いつ何が起こるのかという緊迫感をもちながらも、アイヌの村で人々と触れ合いながら療養している道生の姿は実にほのぼのとしたものでした。
子供たちに剣術を教えながら、出し抜かれて胴を一本食らったりするところなんかは、憎めない道生にほろっと笑ったり。
少しずつだけど近づいているキヤとの距離が感じられる二人の伸びやかなデュエットにも、争いの種を忘れさせられました。
ここのデュエットがとても美しくて、余計にこの後の展開を思うと心が痛くなるのですが・・・
あと、終始感じていたのだけど、キヤ役百花さんの声が龍ちゃんの声と相性がいいのかな?
昨年のフットルース感想(東京)では相手役の方とお互い張り合うような印象があって少し残念だったんだけど、今回はまだ気持ちが並んでいないながらも、二人の声があわさって気持ち良かったんですよね。
また共演しているのを見たいし、ライブなどでデュエットを聞きたいです。

このまま和人とアイヌの仲が上手くいってくれるといいな〜なんて思ってましたが、当然そうはいかず。
キヤ達アイヌの長クナシリ惣オトナが和人にもらった薬によって亡くなってしまいます。
毒殺か、はたまた何かの手違いなのか。
事の真相は分からないものの、和人への恨みつらみにこれで火がついてしまい、攻め込むことを声高に叫ぶキリ(惣オトナの弟)。
ここでは一旦キヤと道生の説得、そしてツキノエからの助言で事を収めますが、その後更なる悲劇がおこり、ツキノエの留守中もあってとうとう決起してしまうのです。
この、惣オトナが亡くなってアイヌ達を説得する道生の歌が、ワンフレーズを繰り返すものなんだけど、必死さとアイヌ人達のことを本当に考えている気持ちが深く染みていて、彼らの声にかき消されそうになりながらも訴える声と姿に胸が打たれました。
この頃から、もう道生はアイヌと共に歩き始めていたのかも。

その後、キリの妻サヤが殺され(これも和人によるものかどうかはっきりしていない)、とうとうキヤも怒りを抑えきれず、攻め込むことを決めます。
この時、キヤが道生を捕らえて牢に入れておけと命じたおかげで、道生は騒乱に巻き込まれずにすんだんだけど、それはそれでキヤを密かに思うセーマには面白くなく・・・色々と複雑でした。
そんな事とは気付かない道生は、彼女達のことを案じながら、幕府にこの事を報告しなければならないと任務を思い出し、けれどそんな事をしたら彼らはどうなるんだと苦悶します。
いつの間にかアイヌ達の側に立って考えている自分に呆然とする道生。
迷いに苦く歪んだ表情に、どこまで役を深く追求して演じているんだろうと、そこに確かに生きている「中嶋道生」に感動しました。
出番はキヤの方が多く、躍動する彼女に対して道生は静で受け手に感じるんだけど、道生の心情の変化を声や表情、動きで細密に描いて演じるその存在感ったらなんて言えばいいのか。
恋ブロ、ラブミュなどのショー要素の大きなステージでは「りゅうちゃーんきゃーっ」って観てしまうけど、BG、カムイレラの芝居要素がたっぷり入った舞台では、そこに在るのは小野田龍之介ではなくダニエルであったり道生であったり、それを演じている人として見させるのではなくその役そのものと感じさせ、見せるんですよね。
これで・・・23才ですよ。もっと評価されてもいいのになぁって思うけど、欲深になるとしっぺ返しが恐いから地道に着実にと応援する側も心せねばな〜とか思うわけです。

ちょいちょい凄いワタクシゴトがはさまるけど気にしない。さ。
物語はこの騒乱を切っ掛けに一気に佳境へ駆け上がるかと思いきや、ここで一旦一幕終了。
この幕が降りるときの盛り上がりがすごかった。
怒りが爆発する切っ掛けが、かなり惨い表現を直球だったので、その分アイヌの人たちの怒り、嘆き、悔しさが舞台上から押し迫り、その気迫に圧されっぱなし。
そして彼らを率いるキヤの凛々しい姿が印象的な、二幕に続くに相応しい絵でした。
しかしこうして振り返ると道生むしろヒロインポジ?


二幕はアイヌが勝利したものの、ロシアから鉄砲調達が出来ず、進退窮した状況から始まります。
元々、鉄砲と他の地のアイヌからの応援が揃ってこそ勝利が望めるとツキノエに言われていたのに、サヤの死で暴発してしまったのがいけなかったんですが、でもそれを待たずに次々と事が起きてしまうと止めようがないものだよね。
まるで謀ったようなタイミングで起きた事件に、惣オトナとサヤの死は和人の謀略ではないかと疑ってしまうくらい。
けどそんな中でもアイヌの生きる道を必死に探す道生は、アイヌが勝利した今ならこちらからの条件を飲ませることができるからと斥候役を買って出ます。
だけど、松前藩主はそうは甘くありませんでした。
この松前藩主が超!やなやつで!!
道生もイコトイも口先三寸で嵌められて、イコトイに至っては結果アイヌを裏切ってしまったっていうトラウマまで負わされて、もう!もうほんと腹立った!
こういう時、時代劇なら黄門様やお奉行様や将軍様が懲らしめてくれるのに!!
すごいアホな事言ってるけど、時代劇の勧善懲悪ストーリーってすごいなって感心しました。ストレスフリー!
長い物には巻かれろじゃなくて長い物は手ごろな長さに切って使い倒せな性格の私には、この、役人にいいように転がされてしまう二人がもどかしくて苛々してしまった。
しかも何とか和解の方向に持っていこうとするキヤと道生とは別に、一向に状況が動かないことに痺れを切らしたキリが再び決起したのが更に裏目に。
兄である惣オトナと妻サヤを惨い殺され方されて悔しいのは分かるんだけど、もう、なんか誰かどうにかしてやってーって感じ。
キヤと父の間に出来た亀裂や、キヤを密かに想うセーマの葛藤。
親子と兄弟、異なる思いを持つもの同士が、アイヌとしての愛と誇りを歌い上げるシーンは、これから起こる過酷な運命の前のひと時の安息で、其々が覚悟を決めた瞬間だったのかな。
恩赦があるなんて言っても、そんなの守られるわけも無く。
縄に繋がれて連行されるキヤ達に役人に食ってかかる道生はまだ少し藩に、幕府に期待してたのかも。
これだけ裏切られてもまだ希望を捨てきれない道生の甘さはそんまま優しさで、それを責められはしないんだけど、やっぱりちょっと苦しくなってしまった。
真っ直ぐな人間が真っ直ぐなまま生きられないって悲しすぎる。
観劇から時間が経って考えるのは、道生はどこで覚悟を決めたのかなということ。
この後、牢につながれたキヤをツキノエの指示で逃がすのだけど、ツキノエにそれをほのめかされるまで彼らに恩赦が下ると信じてたぽいし。
だとしたら、アイヌと共に生きるとは決めていたけど、アイヌと共に散る覚悟を決めたのはいつなんだろう。
キヤを逃がして、自分が捕虜になった時?
恩赦云々は別にして、共に生きると決めた時に、そこまで考えていたのかな・・・

キヤを逃がし、捕らえられた道生は藩主にお前も一緒に処罰してやると言われたとき、少しの動揺もなく、胸を張ってシサム(よき隣人)ですからと微笑んだ表情とても穏やかだった。
むしろ、アイヌとしてでも和人としてでもない、人として思いを全うした誇りに輝いていた。
蝦夷の港に降り立った時とは別人のようで、舞台上の時の流れの速さと、過酷な運命に立ち向かい挑んだ道生の生を感じずに入られなかった。
だから、彼らが逝く事に悲しいとか辛いとかが不思議となくて、とても静かな気持ちだったんだけど、それはきっと私の感情がついていってなかったんだろうな。
彼らが逝った後、アイヌの民が上げた咆吼に、夢から覚めたみたいにハッとして押しつぶされそうになった。
一幕の終わりとはまた違った、どう言えばいいのかわからない感情の爆発に、彼らの戦いはまだ終わったわけではないんだと突きつけられてとても苦しくなった。

幕引きは再び現代の行生と朱里。
朱里の歌と話にもっとアイヌのことを知りたいと言い出した行生に、嬉しそうな朱里。
この二人がキヤと道生の生まれ変わりだとか、子孫だとかそんな野暮ったいことは語られていないけれど、せめて逃げ延びたキヤが道生の思いを接いでしっかりと生きてくれて今の彼らがいるのだといいな。