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観劇、LIVE覚書

next to nomal    20131005

next to nomal

2013/10/05
兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール

音楽:トム・キット
脚本/歌詞:ブライアン・ヨーキー
演出:マイケル・グライフ
訳詞:小林香

ダイアナ  安蘭けい/シルビア・グラブ(Wキャスト)
ゲイブ   小西遼生/辛源(Wキャスト)
ダン    岸祐二
ナタリー  村川絵梨
ヘンリー  松下洸平
Dr.マッデン 新納慎也

港外の町に暮らす、平凡な父と母、息子と娘の四人家族。
平和な生活を送ってるかのように見える一家だが、実はある事情を抱えている。母親のダイアナが長年、精神的な病にかかっているのだ。
父親のダンはそんな妻を献身的に支えながらも疲れ切っている。
ダイアナは息子のゲイブに愛情を注いでおり、母から愛されていないと思い込むナタリーは、同じ学校に通うヘンリーと付きあうようになる。
ある日、ダイアナは服用している薬をすべてトイレに流してしまう。
症状が悪化するダイアナを、ダンは医者のドクター・マッデンの元へ連れて行く。
そして新たな治療法を提示されるのだが・・・
(パンフレットより抜粋)


RENT演出家の作品と聞いて、気になって行ってきました。
すこし。いや、かなり難しい作品でしたが観てよかったです。
一度の観劇では理解出来ない部分も多々ありますが、以下、いつも通りの私的感想です。


既に緞帳の上げられた舞台には、ポスターにもあった三階建ての舞台装置に青の照明。
こちらはブロードウェイそのままを再現したそうです。
書斎になったりダイニングになったりはたまた学校になったり病院になったり。
家の外になったりクラブになったりもします。
一階は自宅のリビングで夫婦の会話。二階は学校でナタリーとヘンリーの会話。それが同時に行われていて、内容がリンクしていたので、見せ方としてとても面白いし、しかも分かり易い!と感心してしまいました。
キャスト5人は(ドクターはラストまで一階固定だったので)上へ下へと駆け回っていて大変だろうなって場面もありましたが、後でパンフを読むと、どこでどう動くか、どのパイプの間を通ってどこに行くかなど厳密に決められていたそうです。
ステージングがあって、その上にお芝居をのっけていく感じだと話されていて、それも驚きでした。
お話は少し取っ付きにくい精神障害の話です。
息子を亡くしたことを切っ掛けに精神のバランスを崩す妻と、献身的に支える夫。そして母親に存在を忘れられた娘。
日本ではこういう題材を扱う時、必ずといっていいほどお涙ちょうだいになるのですが、この作品は勿論違いました。

next to nomal

「普通の隣」という意味だそうです。
では普通とはなんなのか?
私は自分の事を至って「普通」だと思っていますが、扱いにくい人間だろうなぁと自覚はしています。
職場なんかでは喧々囂々、口に衣着せぬ上に立場弁えてませんからね。そんな私を果たして同僚や上司は「普通」の枠に入れてくれてるのかしら。
「扱いにくい変わった人」なんじゃないかな。
もっと言えば「面倒くさい人」
でもそんな人は世の中掃いて捨てるほどいるだろうから、やっぱり普通の範疇でしょう。
主人公のダイアナは幻覚をみたり躁鬱だったり、複数の精神障害を抱えて悩んで?います。
?がつくのは、彼女自身が治療にあまり積極的でないから。というのも、彼女が見る幻覚は息子の姿で、死んでしまった彼を未だに生きていると思い込んでいるから。
確かに奇異な行動をしたり、精神バランスを崩して倒れてしまったり。
色々な弊害があるし、それに付きあってく家族はたまったものじゃないだろうけど、一見すると普通の人なんですよね・・・
あまりにも彼女が息子の記憶に執着するので、途中で「このままでも支障ないんじゃないの」と思ってしまったほどです。
それは彼女が憐れだからとかじゃなく、息子の存在が彼女にとっての精神安定剤のような気がしたから。
ゲイブはそりゃもう事あるごとに現れて、彼女に時に天使のように、時に悪魔のように囁きかけます。
彼女の幻覚なんて思えないほどはっきりとした意思を持って「ぼくはここにいる」と激しく歌う。
それを見ていると、ああ、彼は本当にいるんだ。なんて、こちら側もそんな気になってきちゃうんです。
時々、ナタリーと会話めいたこともします。でもそれはただタイミングがあってるだけで、実際はナタリーの一人言にゲイブの言葉が重なっただけ。
でも、それってどこかにダイアナの意思が存在していたのかなと。
ゲイブはダイアナにしか見えない態だったけど、最後、一家を後にしたダイアナは一人で旅立ち、夫のダンの元にゲイブは残った。
もちろん、それまでダンはゲイブの存在なんて認めていなかったのに激しく言い合った後、「どうして一緒に行かなかった」って言った時はゾクッとしちゃった。
ゲイブは18才の青年の姿で、ダイアナと時々セクシャルな関係に見えることもあって、種明かしをされるまで色々と想像をしてしまいました。
生後八ヶ月でなくなったゲイブを、彼女はそれからずーっと心の中で育てていたのか、それとも彼女の中にゲイブという人格が別に出来上がっていたのか。
とにかく、そのゲイブを彼女の中から追い出さないことには病気は一向に良くならないのに彼女がそれを拒絶する。
でも、家族のために病気を治さないといけないこともわかっている。
葛藤はあるけど決断が出来ない。その繰り返しで追い込まれて、逃げ出すのを繰り返していた。
脳を電気で焼くって治療法はびっくりしたけど、それって病気を治すって根本とはかけ離れている気がする。
ガンとかの細胞部分を取り除く外科とちがって、記憶を焼き切ってとばしてしまうってどうなんだろう。
ダイアナの場合は他の記憶も失ってしまって、とても不安そうだった。
少しずつ思い出すと言っても、思い出せばだしたで自然とそこに居ないゲイブの存在が齟齬を生む。
結局、いつかはそこにたどり着くんじゃないかな。
それでも、一時正気(のようなもの)を取り戻したダイアナは、その時に大きな決心をしたようだった。
ナタリーには今まで伝えなかった母としての愛情を伝え、夫には別れを告げる。
それは彼を見限ったからじゃなくて、そうしなければ自分は治らないと考えたからだと思う。
でも、それで今度はダンがちょっと危うい感じになってしまった。それまで支え続け、尽くしてきた妻にとうとう気持ちを汲み取ってもらえなかったからだ。
人間って勝手だなって思うけど、無償の愛なんてやっぱり存在しないのねと安心したりもした。
娘のナタリーは生まれた時から母親に阻害されて生きてきて、相当ウップンが堪っている。
ウップンなんて軽く言えるものでもないだろうけど、彼女を見ていると心がざわざわした。
母親の病気。存在しない兄。生まれた時からそんなもの背負わされたらたまったもんじゃないだろう。
それにしたって、ブロードウェイ作品は普通にマリファナ・コカインなんて言葉が出てくるね。高校生で、普通にコカインやってる?なんて、煙草でいい気になってる日本の高校生はかわいいもんだわ。って、今はもうそんな時代ではないのかな。
ドラッグのせいだけじゃなく、かなりエキセントリックな面もあって、ナタリーもまた、仏の隣の人なんじゃないだろうかとそんな事を考えた。
まんまと劇中で私も狂うかもしれないと泣いた彼女に、母との確執は自分の内への不安だったのかと。
母親に辛く当たるナタリーは、それでも最後に母親に愛情を見せた。彼女からの愛情も少しだけ受け取った。
それが彼女にとっての最高の幸せの瞬間だったように思う。


なんかめちゃくちゃだけど、とりあえずこの辺で。
中々頭の中が整理できません。
これはこれで、また考えてつらつら書くかな。
あと、照明が素晴らしくきれいでステキでした。今年度見た舞台の中で、照明・舞台装置共にかなりのお気に入り。
青から紫へのグラデーションと並べられた電球の視覚効果。とにかく全てが計算し尽くされたステージだった。
また再演がある事を願って!