boti-poti

観劇、LIVE覚書

きんぐおぶざぶるー

正しくは KING Of THE BLUE 観てきました(パンフにかいてあった平仮名表記がかわいかったので/笑)


KING Of THE BLUE

太古の昔、鬼と人とは共存していた。鬼は雨や風など、自然を自在に操る力を持ち、人々から鬼神と呼ばれ、あがめ敬われていた。
しかしやがて、人の魂を喰らう鬼を厭う人間達は、結束して鬼族を襲撃し、殺戮した。
それから400年。時は人々が戦いに明け暮れる戦国時代。
アジアからヨーロッパにかけて多くの国を支配下に置いた若き皇帝のもとに、鬼族が復活するという報せが届く。皇帝は親衛隊長の白虎と腹心の部下・攻に鬼族の王・蒼龍の討伐を命じる。
彼らは「鬼狩り」の使命を果たすため、戦いに赴く。
その戦いの地で蒼龍と出会った白虎は、運命的な恋に落ちる。
しかし、蒼龍を守るために現れた鬼族・北家の長・玄武、南家の長・朱雀によって、二人は引き裂かれてしまう。
一方、鬼族の襲撃により甚大な被害を被った人間達は、鬼族に対する憎悪を募らせる。皇帝は、この機に乗じて鬼族を殲滅しようと、軍隊を招集し、鬼族との全面対決をすることに。
蒼龍と白虎、鬼と人として戦わざるを得ない二人。
愛する者を殺すことが出来るのか?人と鬼に共生の道はないのか?
悲しき運命を背負った人間と鬼との戦いが今、幕を開ける。
(プログラムより抜粋)

演出・振付 上島雪夫
原案・脚本 半澤律子
脚本    岡本貴也
音楽    KYOHEI
原案・プロデューサー 木村元子


全くのオリジナルでミュージカルや舞台を作るのは難しいって言葉を聞いた(読んだ)のはどこでだったかな?と、公演中にちらっと考えてしまいました。
悪い意味ではなく、海外作品や日本で何度も公演を重ねているミュージカルやお芝居を観ることがやっぱり多いんだなと改めて思っただけのことです。(と書いておいて、あ!新幹線!!とひらめきました。あそこはオリジナルかつミュージカルだわ。しかしやはりまだ珍しいんだろうな)
一度しか公演を見られなかったので、色々回収できていない部分があったりしますが、以下感想です。
相変わらず偏った見方やつっこまなくていいところ、突っ込んでます。




三時間弱の公演(15分休憩)
申し訳ないが前半はやや退屈〜な展開でした。それは私が色恋問答にまったく興味がないから〜〜〜
最初の方、白虎が青龍に話しかけるたび声音が優しく変わって、それにイラッ。イラッ。としてました。
お前、大事な使命があるんじゃないのか。女にうつつぬかしてるばあいじゃねぇだろ!と。
うーんうーん、だるいよーだるいよー。と、ナナメに傾きながら観てしまった。失礼な客ですまない。
逆に前半「すわっ」となったのは、朱雀vs攻のシーンです。
元気出た元気!!とほわっほわしたのと、なんか、この二人過去になにかあった・・・?と匂わせるようなやりとりがたまらなかったです。
うんうん。私ね、おんなじ色恋でもこういう殺伐悲愴としたのがすきです。でも最後はハッピーエンドがええねん(どっちだ)
しかし、朱雀の過去にはびっくりしました。
鬼を裏切って人間側についた白虎たちに相当怒りを向けてるのはわかったんですが、それが「同胞を殺したやつらを」とか「俺たちを裏切ったやつらを」とかそういうニュアンスで、「鬼族」を裏切った二人と、自分たちを封印した人間達を許さない。的なニュアンスで受け取ってたんですが、最後、青龍を覚醒させるために語った過去があまりにも悲惨で、ええ、それもっと先に出しておけばよかったのに。と思いました。
あそこでさらーっとながしちゃうのはもったいないと思う。
そうでなくても朱雀は一貫して反人間を主張し続けていたんだから、もう少し早くどうしてそこまで人間を憎んでいるのかが分かったら感情移入しやすかったのになと。
朱雀がメインの話ではなく、あくまで白虎と青龍の愛する人を敵に回したときどうするかってのがテーマだからなんだろうけど、それにしたってもったいない気がするんだけどな。
あと、当主(朱雀)だった姉を殺されってので、もしかして現・朱雀は男なのかな・・・と考えたりもしました。
でも冒頭乱闘シーンで攻が「女だてらに」って言ってたから、やっぱり女なのかな・・・。
女を捨てて「俺」と自分を呼び、妹祖父祖母父母一族を殺した人間を滅ぼすために生きてるのだとしたら、過去に何かあったらしい(勝手に決めつけ)攻の死に対してどんなリアクションを見せるんだろう。と、攻が玄武にやられたときに朱雀をちらりちらりと見たんですが、背中向けて微動たりともしなかったです。しかしそれもまた萌え!

いや、これ白龍と青龍、人間と鬼の話なんですけどね・・・。
朱雀(元気)が素敵すぎて妄想かっとびすぎました。反省。

で、見終わって数日経ってる今でももやっと感はぬぐえず、もう一回くらい見たら何か変わったんだろうかとさらにもやもや。
うーん。お話としてストンと落ち着かないのが、悪がどこにもないところかな。
鬼も人間も、それぞれ主張するところはわかるし、お互い歩み寄ろう、平和に暮らそうって気持ちはあるのに上手くいかない。
それこそ「運命」とか「宿命」というものが邪魔をして、両者を引き裂くわけですね。
ただそれが目に見えて形のある「悪意」ではなく、ただ漠然とそこに発生する、なんて言えばいいのか、「気」のようなもので、観ている方は「ああっ」「もうっ」とかゆいところに手が届かないどころか、「志村、うしろうしろ!」までいかない。(へんなたとえですみません)
例えばこれが人間側の元老院であるとか、鬼側の朱雀であるとかが意図的に、故意に、両者を戦わせるように仕向けているのだとすれば、観ている方は簡単に「そいつだよ、そいつ!」と悪意をその部分に向ければいいわけですよ。
それはまあ、ありきたりで使い古された手ではあるんだろうけれど、でも、敵がはっきりしている分観ている側としては安定するんだと私は思うんです。
それが、今回は両者が望む所に同じように手を伸ばしているのに届かない、掴めない、あと少しと言うところで邪魔が入る。
もどかしい、歯がゆい、ままならない。
玄武の科白で人も」鬼も世界の理の中のひとつで、その循環に逆らうことは出来ない」というようなニュアンスのものがあるんですが(科白はっきり覚えていない)、これこそ、そう言うことなのかなと。
結局、私はこの物語に手が届かないのです。

明確に目に見える悪意がないと書いておきながらですが、オッペンとニシリンは非常にわかりやすい人の悪意でありました。
けれど、この二人もいわば世界に翻弄されたって結末が正しいのかな。
戦争でみんなが餓えている、餓えるのは嫌だ、自分だけでも豊かになりたい、豊かになりたいから人を粗末にし悪意を重ねる、そうして、もっと大きな渦に飲み込まれる。
けれど、そうした時にはもう二人とも自分たちを取り戻せない所にいってしまってたんだろうなぁ。
山ひとつ吹き飛ばす爆弾を作っても、その恐ろしさに気付かないふりをして、吹き飛ばした山にもしかしたら「誰か」が居たことにも


制作ブログで朱雀役元気の画像見たときは南国美少女が女に進化しとる!とか、鈴木亜美ちゃんと双子の姉妹役だよね!とか好き勝手言ってましたが、まさか本当に「女役」とは・・・
いや、いいんだ。私にとって大河さんは美少女カテゴリ(現在美女カテゴリエントリー中)なので別にいいんだけど何で女優さんじゃなくてわざわざ元気を・・・?という疑問は抱かざるをえないよね。
パンフでその辺りなんか触れてるだろ−かと思ったけど一切合切スルーだったからびっくりするよね!!!
まあ、いいんですよ。いいよ。元気は相変わらずいい演技するなぁと大変満足だったので。(上手い下手じゃなくて私の好きな演技なんです)